ミステリ作家は死ぬ日まで、
黄色い部屋の夢を見るか?
~阿津川辰海・読書日記~


「いったい、いつ読んでいるんだ!?」各社の担当編集者が不思議がるほど、
ミステリ作家・阿津川辰海は書きながら読み、繙きながら執筆している。
耽読、快読、濫読、痛読、熱読、爆読……とにかく、ありとあらゆる「読」を日々探究し続けているのだ。
本連載は、阿津川が読んだ小説その他について、「読書日記」と称して好き勝手語ってもらおうというコーナーである(月2回更新予定)。
ここで取り上げる本は、いわば阿津川辰海という作家を構成する「成分表」にもなっているはず。
ただし偏愛カロリーは少々高めですので、お気をつけください。
(※本文中は敬称略)


著者
阿津川辰海(あつかわ・たつみ)
2017年、本格ミステリ新人発掘プロジェクト「カッパ・ツー」第1期に選ばれた『名探偵は嘘をつかない』でデビュー。作品に『星詠師の記憶』『紅蓮館の殺人』『透明人間は密室に潜む』がある。

目次

2021.04.09   第12回
2021.03.26   第11回
2021.03.12   第10回
2021.02.26   第9回
2021.02.12   第8回  特別編2
2021.01.22   第7回
2021.01.08   第6回
2020.12.25   第5回 ⛄特別編
2020.12.11   第4回
2020.11.27   第3回
2020.11.13   第2回
2020.10.23   第1回

第12回
「不安」を描く作家、恩田陸 ~人生を賭した「謎解き」~

  • 恩田 陸、書影


    恩田 陸
    『灰の劇場』
    (河出書房新社)

  •  作家特集のムック本というのは、やはり良いものです。インタビューやエッセイに触れるうち、その人の作品がますます読みたくなり、いつしか再読の海の中で溺れている。そう思わされたのは、『文藝別冊 恩田陸 白の劇場』(KAWADEムック)と、『夜想#山尾悠子』(ステュディオ・パラボリカ)の二冊を手に取ったゆえです。充実した本で、どちらも作者のファンは絶対に買い逃してはならないというレベル。

     ということで今月の1冊目は、恩田陸の『灰の劇場』(河出書房新社)です。先月の読書日記でも、二月刊行の作品としてさらっと名前を挙げたのですが、やはりどうしてもそれでは済まない気持ちになったので取り上げます。

     先述した、この本と同時発売のムック『白の劇場』を読んで、大森望と全作を概観したり、桐野夏生や小川洋子と対談しているのを読んだり、各評者のエッセイや評論を読んで触発され、中学・高校の頃にまとめ読みした恩田陸作品を、この二月・三月にひたすらに再読していたのです。まさしく三月の国。ともかく幸せな時間でした。もちろん青春小説やホラーも好きですが、特に好きなのは『ユージニア』(角川文庫)、『Q&A』(幻冬舎文庫)の二冊。この二冊だけは今回の機会がなくとも何度も読み返していて、あの世界に浸るのが好きなのです。

     それはなぜかといったら、あの二冊が「不安」を描いた作品だからだと思うのです。『Q&A』はショッピングセンターでの大量死事件を巡り、インタビュアーの質問とそれへの回答だけで構成された小説で、そこに描かれるのは、あの日、あの場所にいた人たちを襲った正体のない「不安」の姿です。これがもう、中学生の私には、どんなホラーよりも怖かった。とにかく心がざわついた。しばらくショッピングセンターには近寄れなかったほどです。

     そして『ユージニア』は名家の大量毒殺事件を巡り、14の章でかわるがわる関係者が登場し、それぞれの「真実」を語るという長編なのですが、事件のイメージや各登場人物の語りがもたらす「不安」はもちろんのこと、単行本版では本文がちょっと斜めに印刷してあって、それがとにかく「不安」を誘いました。見た目には普通に見えるのに、どこか感覚が揺らいでいく……。親が買っていた単行本版を読んだので、世代的には全く被らないのに、中学の時にそんな経験をし、未だに『ユージニア』のとりこなのです。『ユージニア』のオマージュ元であるヒラリー・ウォーの『この町の誰かが』(創元推理文庫)も、同じくオマージュを捧げたという宮部みゆきの『理由』(新潮文庫)も、擦り切れるほど読んでいます。

     それで、今回の新刊『灰の劇場』では、「事実に基づく物語」として、恩田陸が1994年に目にした三面記事を巡る物語が描かれます。45歳と44歳の女性が橋から飛び降りて死亡。二人は私立大学時代の同級生だったという。

     恩田陸自身がモデルと思われる語り手が、この三面記事を見た記憶をたどっていく「0」の章、彼女が「飛び降りた二人の女性」の視点を描く小説部分の「1」の章、その小説を舞台で上演する過程が描かれる「(1)」の章と三層構造の物語となっています。三層構造といえば、『中庭の出来事』(新潮文庫)も「三層」で構成され尽くした物語でした。何が現実だったのか宙づりにしてしまう『中庭の出来事』が、多視点の語りによって読者の拠って立つ足場をぐらつかせる『Q&A』『ユージニア』の先にある物語だったとするなら、『灰の劇場』はさらに一歩も二歩も上を行くものだと言えるのではないでしょうか。

     海外ノンフィクション風の読み味があるのも魅力の一つです。「0」の章においてミネット・ウォルターズの『養鶏場の殺人/火口ほくち箱』(創元推理文庫)を引き合いに出していますし、ローラン・ビネの『HHhH プラハ、1942』(東京創元社)について『白の劇場』での桐野夏生との対談で「やられた!」と思ったと口にしていますが、特に、『HHhH』と『灰の劇場』との類似には驚きます。 『HHhH』というのは、ビネ自身が『HHhH』というノンフィクションを書くまでを描く記述と、ナチスドイツを巡るノンフィクション的記述の部分が交互に登場し、やがてもつれあってしまう作品です。『灰の劇場』でも、作者自身を描く「0」と事件を描く「1」の交錯があり、「やられた!」と思うのも頷けるところです。

     ですが、結果としては全く違う傑作に仕上がっている、と言えると思います。大きな違いの一つが、「(1)」の章の重みです。作者自身の声である「0」だけでなく、その作者が一人の観客として「演じられた物語」に相対しなければならない「(1)」があることで、作者自身がこの「三面記事」の事件に相対する感覚が深まっていると思うのです。事件に向き合い、何かを見いだそうとするその姿勢に、私は深く感じ入ったのでした。

     そしてこの物語、特に「事実に基づく物語」である小説部分の「1」は、どうあっても自殺の瞬間に辿り着くという、そんな途方もない「不安」を描いた小説でもあります。作中の語り手が、亡くなった二人に、作者が自分たちの死を小説に仕立てることを「望んでません」と言葉をぶつけられるシーンもあります。書くことそのものが葛藤であり、不安である。そうして、この先には二人を死に追いやったある種の「絶望」がある。その感覚が私の心を飲み込み、『灰の劇場』という小説体験に、恩田陸自信をモデルにした語り手の声を聴くことに、二人の女性の人生を「生きる」ことに、どうしようもなく夢中になったのです。

     この「不安」は、現代に生きる人すべての「不安」をも包摂しているのでしょう。「事実に基づく物語」やそうした映画がもてはやされる風潮について述べた、印象的な一節があります。

     “彼らは、それほどまでに、本や映画に向かう理由を欲しているのだ。本や映画に一定の時間を割くのは、それだけ孤独を強いられるということでもある。それは、常に「リアル」な繋がりを感じていられる、SNS等の世間からいったん離脱しなければならないことを意味する。そこから離脱するだけの動機を保証してほしい。「リアル」な繋がりから、ほんの数時間だけでも離れたことを後悔するような失敗だけはしたくないのだ。”(『灰の劇場』、p.20-21)

     この言葉にどこか刺されるような感覚がありました。今の小説家が読まれるためには、ソーシャルゲームと戦わなければいけないなんて言葉を聞いたことがありますが、本当はその背後にある、もっと大きな何かと戦っているのかもしれない。そんなことを思いながら、また「不安」の中に叩き落され、しかし、その形のない「不安」になにがしかの名前と言葉を与えてくれる恩田陸の作品が、私はやはり、どうしようもなく愛おしいのです。

     ……さて、以下は蛇足ですが、実はこの三面記事、私もなぜか見たことがあるような記憶がありました。作中で何度も「棘」の比喩を使って、この飛び降り事件が心に刺さった棘だったと語り手は何度も述べますが、私にもなぜかこの棘が刺さっている。

     でも、そんなことはあり得ないのです。記事は1994年の9月25日に掲載。私はまだ生まれて3日しか経っていない時です。三面記事なので、どこかで見たり聞いたりした、ということも考えられません。なのになぜ、私にはこの記事の記憶があるのか……。

     実はこれも、『灰の劇場』を読んで囚われた不安の一つでした。その不安の影につきまとわれながら、恩田作品の再読を繰り返していると、答えがありました。『puzzle』(祥伝社文庫)の中の一節です。長いですが引用してみましょう。

     “「そういえば一つ思い出したよ。親父がミステリ・ファンだったから、新聞の隅っこに載ってる小さな記事から事件の真相を組み立てるゲームを家族でよくやったんだ。刷り込まれたせいか、今でも結構習慣になってる。で、いつ読んだ記事かは忘れたけど、とても印象に残ってる事件がある」
    「へえ、どんな?」
     志土は興味を覗かせた。
    「女の人二人が橋の上から身を投げて死んだという事件なんだけどね。自殺らしいんだけれど、なかなか身元が分からなかったんだそうだ。でも、暫く経ってから、近所のアパートに住んでいた女性二人だと分かった。二人は大学時代の同級生で、血の繋がりはなかったんだけれど、ずっと一緒に暮らしていたらしいんだな。二人は五十歳くらいだったと思う。遺書もなかった」“
    (『puzzle』、p.93)

     二人はこの後、「いろいろなストーリーが思い浮かぶ」と言って、望んで一緒に住んだのか、やむを得ずか、心中だったのか、過去の犯罪も絡んでいるのかなど取り留めもなく話した後、本筋である事件の検討に戻っていきます。『puzzle』の刊行は2000年ですから、この頃から、本当に恩田陸の中の「棘」になっていた事件だったのだと思い知らされました。1994年から、『灰の劇場』の連載を終了するまでの2020年、その26年間、恩田陸はこの謎を心のどこかに抱え続けてきたのです。

     これだけさりげなく出ていたのですから、実は私が知らなかっただけで、他の作品にも出ていたのかもしれませんし、恩田ファンの間では有名な話だったりするのでしょうか……?

     立て続けに再読した中でこのエピソードがふっと現れた時の感覚は、もう、衝撃というか、戦慄としか言いようがありませんでした。しかも、「(1)」の章の技巧というのは、『中庭の出来事』や、あるいは『猫と針』(新潮文庫)といった戯曲の作品を通ってきた恩田陸だからこそ書けた、と言うことも出来るかもしれません。だとすれば、恩田陸はこれまでの人生、そのすべてをもって、1994年9月25日のあの事件を解き明かしたとも言えるのではないか、と。

     私は『puzzle』を手にしたまま、暫く呆然としていました。小説を書くというのは、書き続けるというのは、これほど凄まじいことなのかと、恩田作品の前で立ち尽くしてしまったのでした。

    (2021年4月)



第11回
足元で口を開く暗黒の淵 ~分厚く、切れないエンターテイメント~

  • 佐藤究、書影


    佐藤究
    『テスカトリポカ』
    (角川書店)

  •  これが載るころには先月の話になっているのですが、2月の国内新刊の量がちょっとおかしかった(褒め言葉)。著作刊行70冊の節目にふさわしい傑作である恩田陸の『灰の劇場』と、それと連動した豪華なムック本『白の劇場』、柄刀一版〈国名シリーズ〉の長編にして論理の牙城を築いた『或るギリシア棺の謎』、待望の新作にして幕末に不可能犯罪の華を咲かせた雄編である伊吹亜門『雨と短銃』、充実の犯人当てアンソロジーである『あなたも名探偵』、デビュー作で類まれなミステリセンスを見せた著者がガチガチのロジックミステリを刊行した紙城境介『僕が答える君の謎解き』、ますます充実ぶりを発揮する人気シリーズ短編集である誉田哲也『オムニバス』、更には、私もコメントを寄せた呉勝浩『おれたちの歌をうたえ』は著者最高傑作とも言えるエンタテインメントで……多分、書き忘れているものもあるはずです。それくらい、冊数が多かった。幸福な時間でした。

     しかし、中でもぶっ飛んだ一作を紹介したいのです。佐藤究の『テスカトリポカ』(角川書店)がそれ。こいつはもう、ぶっ飛んだ(二回目)。年に何回か、角川書店から出る極厚の小説のあまりの面白さにタコ殴りにされてしまい、寝食も忘れて一気読みをしてしまうことがあるのですが、これはまさしくそんな本でした。

     耳慣れないタイトルですが、これはアステカ神話の神の名前です。ストーリーもメキシコに住む十七歳の少女・ルシアから始まりますが、なんと舞台は早々に日本の川崎に。時は経ち、彼女の息子であるコシモが生まれてから、物語は本格的に動き出します。

     川崎に住むコシモ少年に、一体どのようにアステカ神話の神が絡んでくるのか。読者の心配をよそに、佐藤究は自在に視点を飛ばし、メキシコの麻薬密売人とジャカルタの臓器ブローカーが手を組んだ「新たなビジネス」の話や、日本の保育園に勤める女性など、「事件」の渦中に飛び込んでいく人々を、ゆっくりと、焦らず、どこか突き放したような文体で精緻に描いていきます。さながら大木のような小説です。作者は一つ一つの枝葉をゆっくりと描き、また別の地点から枝葉を描き、最後にはどっしりとした幹が中心に現れている。その中心というのが本作では、アステカ神話の神と現代との「重ね合わせ」なのです。

     メキシコの麻薬カルテルということで、まず連想したのがドン・ウィンズロウの「犬の力シリーズ」。『犬の力』『ザ・カルテル』『ザ・ボーダー』では、大部の小説の中で、麻薬戦争に翻弄される人々や捜査官アート・ケラーと、麻薬カルテルとの戦いが描かれますが、何より胸に迫るのは、麻薬というものを前に、紙屑のように人間が消えていく、その怖さです。特に凄いのが『ザ・カルテル』で、好きになったキャラが次のページではあっさり殺されているなんてザラで、麻薬戦争を前にした人の命の軽さが残酷なまでに描かれます(だからこそ、そこからの解放と安らぎを描こうとする『ザ・ボーダー』の輝きも凄いのですが)。

     (前略)さまざまな形を取る資本主義の魔法陣のうちで、おそらくもっとも強力な魔法システムの図形である麻薬資本主義ドラッグ・キャピタリズム、(後略)(『テスカトリポカ』、p.152)

     人一人の命をあっさりと捧げてしまう現代の魔法と、古代の信仰の重ね合わせ。その取り合わせは意想外でありながら、同時にとても馴染んでいます。

     しかしこれは資本主義だけの物語では終わらない。これは同時に「信仰する者」の物語たり得ているのです。教義。太古の歴史。そして出し抜けに古代と現代の光景が重なってしまう時。そのイマジネーションの中で、現代の暴力が紡ぐ悪夢と、古代の神話が彩る祝祭が同時に立ち現れる。名シーンの数々が描かれる第Ⅳ章は圧巻の面白さでしょう。ミステリ的なネタバレでは一切ないことを前書きしたうえで書くと、私は第50節の会話の素晴らしさだけで、この本を生涯忘れないと思います。

     神話というと、なんだか難しそうと思われるかもしれませんが、必要な知識は全て作中で解説されていますし、一人の登場人物に感情移入して追いかけるだけでも、かなり充実した読書体験が約束される本です。クライム・ノベルとしても、幻想文学としても無類の本作。個人的には2021年ベストエンターテイメントに早くも推したい。

    (2021年3月)



第10回
海洋ミステリの見果てぬ夢 ~高橋泰邦が生み出した「名探偵」~

  • 高橋泰邦、書影


    高橋泰邦
    『偽りの晴れ間(上・下)』
    徳間文庫

  •  今月、文春文庫からジェフリー・ディーヴァーの新作『オクトーバー・リスト』が刊行され、私、阿津川辰海が「解説」を務めさせていただきました。ノンシリーズ長編、いきなり文庫での刊行になる本作の趣向は、「逆行する犯罪小説」というもの。第36章から2日間の出来事を遡っていき、最後、時系列ではいちばん最初にあたる「第1章」にかけて全てが解き明かされる凝った構成で、ディーヴァー作品で一、二を争う衝撃を味わうことが出来ます。本の構成要素もすべて逆順になっているので、本来なら「解説」になる私の文章も、「日本語版・序文」になっているという趣向。解説も知らず知らずのうちに気合が入り、「逆行する解説」をしたためてしまいました。ディーヴァーからしばらく離れていた方にも自信を持ってオススメできる逸品です。

     さて、今月の1冊目は高橋泰邦の『偽りの晴れ間』(講談社、文庫版は上下巻で徳間文庫にて刊行)をご紹介します。

     高橋泰邦といえば、今のミステリ読みからは翻訳家として名高い方でしょう。有名なのはアントニイ・バークリーの『毒入りチョコレート事件』(創元推理文庫)でしょうか。ハヤカワ文庫から刊行のホーンブロワー・シリーズや、アリステア・マクリーン『北極基地/潜航作戦』など、船舶が関わるミステリや海洋ミステリにも強かった人です。

     そんな高橋泰邦ですが、「翻訳家になりたくて小説を書き始めた」という異色の経歴の持ち主。しかし、余技と言い切るには惜しいほど、今読んでも面白い作品ばかりなのです。中でも、補佐人・大滝辰次郎という男を主人公にした一連の海洋ミステリ・シリーズは、海難審判を扱った法廷ものとしての魅力と、航海士たちの人間ドラマや海のサスペンスが調和した傑作揃い。補佐人というのは、海難審判の弁護士のことだと思ってもらうと良いです。

     大滝シリーズは全部で四作、うち三作は光文社文庫で刊行され、今でもKindleで購入できます。そこで、本稿の末尾で、その三作もあらすじや魅力を紹介させていただくとして、今はシリーズ第四作にあたる『偽りの晴れ間』の話をしましょう。

     1970年発表の本作は、1954年の実在の海難事故「洞爺丸事件」をテーマにした長編ミステリ。死者・行方不明者あわせて1155名にのぼる、この海難史上に残る事故に対し、船長たちの責を問う海難審判が始まる。とはいえ、船長は死亡しているため、矢面に立つのは二等航海士(セコンドフサー)だという一事をとっても、複雑な事件であるわけです。

     探偵役を務める大滝は、洞爺丸側の弁護士である「海事補佐人」としてこの事件に関わることになります。大滝はそれまでのシリーズ三作品では、もちろん架空の事件を解き明かしていたわけですが、本作は実在の事件に大滝を登場させていること自体が一つの驚きになっています。高橋泰邦は1962年にこれまた実在の事件である「南海丸沈没事件」を扱った『紀淡海峡の謎』というノンフィクション風の事件小説を出していますが、大滝は出ていません。ではなぜ、大滝は『偽りの晴れ間』に登場したのでしょうか。

     そこには、大滝がシリーズを通して言い続けてきた、ある信条が関連していると思います。彼は事あるごとに言います。「審判が海難の真因を究明することを目的とするとうたっているからには、“人間審判”でなければならぬ」「人間的な要素を無視して、何が真因か」(いずれも『偽りの晴れ間』講談社版、p.26)

     高橋泰邦の海洋ミステリは、全てのディティールを疎かにしません。船乗りが使う言葉一つとっても、船の部位の名前一つとっても、細心の注意を払って全てを余すところなく書きます。『黒潮の偽証』(光文社文庫)の解説にて、新保博久氏がこんなエピソードを紹介しています。かつて内藤陳氏が率いた日本冒険小説協会で、海洋部なるものを発足させたことがありました。その第二回会合のゲストに高橋泰邦氏が呼ばれたといいます。

     (……)一同酔余の果て、最近腹の立った本を一冊ずつ挙げる段になると、高橋氏は書名は伏せながら、ある海洋小説の翻訳が難しい個所をぜんぶ飛ばして訳しているのを非難した。「原文の難しいところほど、その小説のおいしい部分であるはずなんですよ」(『黒潮の偽証』解説より抜粋、p.280)

     まさに、この信念こそが、たった一つの言葉ですら疎かにしない高橋泰邦の迫力ある海洋ミステリを生み出した、と窺わせるエピソードである。そして、『偽りの晴れ間』では、対象が実在の事件であるがゆえに、高橋のこの信念は人間にまで及びます。洞爺丸の中から発見された死体の状況も、遺族が手をつけられないでいる遺体を、遺族と共に泣きながら湯かんしていた国鉄労組函館支部の婦人部長がいたことも、いきなり家族を奪われ、補償への道をただ一つのよすがに裁判を見守っていた遺族の姿も、彼は何一つ書き飛ばさず、誠実に、ただただ眼差していくのです。

     法廷ミステリ風に言えば、大滝を巡る状況はまさに四面楚歌です。全ての責任は、台風の大シケの中漕ぎだしていった、船長=国鉄側の重過失と考えられるのですから、そこを弁護する大滝は遺族から見ると「敵」です。大滝を睨みつける遺族の姿も、高橋泰邦はしっかりと細部まで描き切る。まさに「公正」な書きぶりです。世界に対して誠実で在るとは、なんと勇気のいることか。そのうえで大滝、いや高橋は、「洞爺丸事件」は人災だったのか、天災だったのか、という主題に立ち向かっていくのです。

     そこには幾つもの要因が絡んでいます。当時は船で経済が動いていたという事実も、一つの欠航から生まれる経済的損失の予測も、損失を恐れて会社側が出航させたのではという疑惑も、出航を決意させたと言われる「台風の目」の晴れ間の正体も、当時の気象予報技術も。複雑性の網の中で起きる事件を、公正に、ディティール豊かに書く。その一つ一つが、刊行から五十年以上経てもなお、圧倒的な熱として読者に伝わってきます。

     中でも、転覆の一つの要因とみられる地形の条件を確かめるべく、シケの海に乗り出していく大滝の姿を描いた中盤のシーンは、ミステリ的な一つの山場の意味でも、海洋冒険小説としての面白さという意味でも、屈指の名シーンでしょう。

    「それにしても、連絡船も出ないシケのなかへ、小船で出られますか?」
    「洞爺丸はもっとひどい海に出ていった」
    「だって、先生……、だから事故を……」
    「わたしはその洞爺丸の事故を調べとるんだ。机上の推論だけでは確信はもてない。確信のもてないことに説得力や訴求力はありえない!」
    (『偽りの晴れ間』講談社刊、p.127)

     大滝はこう喝破し、「悪魔の剣」と称する地形の特徴を論説しにかかる。そして助手にあたる鳥居という男を容赦なく引き回し、シケの海に小船で乗り出していくのである。まさに名探偵。それはすべて、船長に対するいわれなき𠮟責だけは退けたいという、彼の「人間審判」への情熱がなせるわざでしょう。

     もちろん、背景にあるのは実在の事件、実在の判決です。法廷論戦は丁丁発止で読ませますが、根本的にはアンチクライマックスな物語と言っていいでしょう。しかし、人災か天災かを巡る議論は、飛行機事故や製造物責任といったものに形を変えて、今なお何度も繰り返されているのではないでしょうか。だからこそ私も、生まれる前の事件の話で、馴染みのない海難審判の話であっても、これだけ読まされ、心を揺さぶられたのです。

     いや、実は『偽りの晴れ間』が大きく私の心を揺さぶった要因が、もう一つあります。それは中井英夫の『虚無への供物』です。『虚無への供物』では、連続殺人の中心となる「氷沼家」が洞爺丸の遺族として設定されており、それが重要な一要素になっています。私は結末部分で放たれるある言葉を、「洞爺丸事件」だけではなく、それ以後も繰り返されてきた多くの悲劇の名前に変えて受け止めていました。それだけに通時性のある言葉だと思っていたのですが、『偽りの晴れ間』を読んだことで、洞爺丸事件のことを知り、高橋泰邦が再現した出航前の「死闘四時間」を文字の力によって体験したことで、今ではより深く、あの言葉を理解できた気がします。今の私がそんなことを言ったところで、当時『虚無への供物』を読んだ読者に比べれば、程度の浅いものであることは、重々分かっています。それでも、氷沼蒼司の腕時計が、洞爺丸の沈んだ十時三十九分で止められているという、9章の描写の切なさは、『偽りの晴れ間』を読んだ後だとより一層感じることが出来ました。

     そんな個人的な体験も相まって、『偽りの晴れ間』は私の中で、大層大事な一冊になったのです。

     ……とはいえ、『偽りの晴れ間』は今となっては入手困難。そんなのおすすめされても読めないよ! と思われてしまうでしょう。だが、先ほども述べた通り、大滝シリーズの前三作は、電子書籍のKindleならすぐに読んでいただけます。しかも全部面白いのです。最後に、各作品の見どころを紹介させてください。

    〇『衝突針路』1961年、光文社文庫(Kindleあり)
     傑作。高橋の小説で何か一冊読むなら絶対にこれです。貨物船が衝突して事故を起こし、機関員は謎の死を遂げた。彼は殉死なのか、それとも他殺か? 事故の真相を巡る海難審判に、死の謎を絡めた無敵の法廷ミステリです。第一部で展開する、事故直前の船内の描写や、ボート漂流パートのサスペンスが既にたまらないですし、その中に巧妙に隠された伏線も見事。法廷論戦の楽しさも、本書が一番よく表れています。老獪な探偵役、ここにあり。

    〇『賭けられた船』1963年、光文社文庫(Kindleあり)
     サスペンスに注力した一作です。航海士の失踪と乗組員の謎の死。大滝の命を受けた一等航海士・紅林竜太は、単身船に乗り込み、そこで船を巡る悪意と対峙する。言ってみればスパイもの、潜入捜査の面白さもあって、船で事件に巻き込まれる紅林が、翻弄されながらも犯人を追い詰めるくだりが見事。ちなみに光文社文庫入りは一番これが早いのですが、やはり当時はサスペンス重視だったということでしょうか。

    〇『黒潮の偽証』1963年、光文社文庫(Kindleあり)
     東都ミステリーの一冊として刊行されたときには、最後の犯人の名前が伏せ字になっていたという「犯人当て」長編がこちら。謎の密航者、密室で殺害される一等航海士、そして犯人当て。わりとオーソドックスな本格の道具立てを備えた一作ですが、やはり中盤のサスペンスの迫力が無類なのです。「なぜ不可解な状況が生じたか」に着眼した論理展開は、今読んでも古びないパズラーの味です。

     シリーズを除くと、『大暗礁』(光風社、1961年、品切れのため入手困難)という短編集も素晴らしい。こちらは老船長・桑野を巡る短編集ですが、犯人当ての結構を備えた「マラッカ海峡」、船の上で犯罪(それも殺人とかではなく、より大きな犯罪)を企てる人間を倒叙風に描き、サスペンスとドラマを両立させる「誤差一分」「大暗礁」、そして桑野の殉死そのものを謎とし、法廷ミステリに仕立てる傑作「殉職」と、どれも外せない名短編集です。徳間書店(Tokuma novels)のアンソロジー『血ぬられた海域 海洋推理ベスト集成』の収録作「天国は近きにあり」あたりと合わせて五編で復刊とか……いや、やはり難しいですかね……。

    「たしかに、船と人と海の世界を書くことは難しい。日本人読者の身内に眠っている血をかきたてることはなお難しい。だが、誰かが書かなければならない。誰かが日本人の体内にひそむ海洋民族の血潮を目覚まさなければならない」(『衝突針路』あとがきより)

     熱い思いから、海洋ミステリの理想を追い求めた高橋泰邦の小説は、今読んでもなお、心の中にある何かを熱くさせます。それは彼の小説が、船の世界を緻密に描き、同時に、人間を描いているからだと思うのです。

    (2021年3月)



第9回
無比のヒーロー、ここに在り! ~寡黙な男が全てを救う~

  • ロバート・クレイス、書影


    ロバート・クレイス
    『危険な男』
    創元推理文庫

  •  今月の二冊目は、なんといってもこいつを取り上げないといけません。ロバート・クレイス『危険な男』(創元推理文庫)!

     直近の邦訳『指名手配』(エルヴィス・コール・シリーズ)が2019年5月だったことを考えると、まだ2年は経っていないのですが、随分首を長くして待っていた気がします。ジョー・パイク・シリーズの邦訳を待ちわびていたからでしょう。前に邦訳された『天使の護衛』は2011年8月。なんとほとんど10年ぶりの刊行になるのです。

     クレイスはデビュー作『モンキーズ・レインコート』以来、ロスの探偵エルヴィス・コールと、そのパートナーであるジョー・パイクのコンビを書き続けてきました。コールは陽気なおしゃべりで、しかしただのお気楽男ではなく、信念を持った陽気さで世界を愛する。パイクは警官上がりで、凄腕の元傭兵という異色の経歴を持つ寡黙な戦士。正反対ですが互いを信頼し合うこのコンビの活躍は、いつ見てもシビれるほどカッコ良い。私は特に『ララバイ・タウン』という作品が大好きで、あそこに書かれた1990年代のアメリカの風景に、懐かしい何かを感じてたまらないのです。

     そんなシリーズからポップアウトした新シリーズが、ジョー・パイクを主人公とした「ジョー・パイク・シリーズ」というわけです。前述の『天使の護衛』が一作目にあたります。交通事故によってとある犯罪者と顔を合わせてしまった大富豪の娘が、命を狙われる。パイクは彼女の護衛を務め、冒頭からクールな銃撃戦を繰り広げる。そしてコールの活躍もしっかり楽しめる。パイクがコールに電話をかけ(このシーンがまたたまらないのです。パイクは電話では一言二言しか話さないのですが、コールもそれに慣れきっているんですよね)、コールが「何が起こっているのか」の調査に参入してから、事実は二転三転。アクションだけでなく、プロットと心理描写でも巧みに読ませる名品です。

     さあ本作『危険な男』も、スピード感では負けていません。冒頭わずか4ページ、愛おしい家族の風景の中に不穏な何かを忍ばせるシーンの妙だけで舌鼓を打ってしまいますが、次のページではもう銀行員の女の子が拉致されることがほのめかされ、程なく実行。現場に居合わせたパイクは、放っておくことが出来ず助けに入る。このシーンだけでもとんでもなく面白いのに、事態はこの後二転三転。なぜ彼女が狙われるのか、という謎で牽引しながら、コールの活躍や、誘拐犯たちの視点でもしっかり楽しませてくれます。

     ロバート・クレイスは最初、完璧な一人称ハードボイルド小説を書く作家だと思ったのですが、こうして多視点サスペンスをものにして、今なおエンタメの雄であり続けていることに感動させられます。パイクは寡黙な男なので、三人称記述がしっくり来るんですよね。逆にコールの内面描写はいちいちニヤッとします。この塩梅が実に楽しい。

     ロバート・クレイス、もっと読みたい。あまりにも楽しみにしすぎて、今回も発売日に読んでしまいました。エルヴィス・コール・シリーズの『ララバイ・タウン』『死者の河を渉(わた)る』あたりも大好物ですが、相棒を失った刑事と相棒を失ったシェパード、マギーがかけがえのない「相棒」となり再生するまでを描く『容疑者』、その一人と一匹に加えてコール、パイクの二人もゲスト出演し、交錯するフルスロットルエンタメ『約束』も最高です。『約束』なんて全ページ面白い。

     クレイス作品の何がそんなに私を魅了するのかと言われれば、クレイスの小説が飛び切り格好良いからです。コールの饒舌さの中に潜む愛が、パイクが寡黙さの中に隠す世界への怒りが、私の心を震わせるからです。

     『死者の河をわたる』の解説に一部引用されたクレイスの言葉に、「人間の心以外は書くに値しない」というものがあります。多彩な陰影を持つ登場人物の中に、人間への対称形の理想を投影したかのようなパイクとコールの姿が、私には永遠に眩しく映るのです。

    (2021年2月)



第8回 特別編2
ランドル・ギャレットの世界 ~SF世界の本格ミステリ~

  • ランドル・ギャレット、書影


    ランドル・ギャレット
    『魔術師を探せ! 〔新訳版〕』
    ハヤカワ・ミステリ文庫

  •  1月29日頃から、早川書房〈このミステリがヤバい!〉フェアが展開されています。四人のミステリ作家が、海外本格の名作四作にそれぞれ推薦文を寄せる、というもの。

     円居挽(以下、敬称略)がクリスチアナ・ブランド『ジェゼベルの死』、青崎有吾がコリン・デクスター『キドリントンから消えた娘』、斜線堂有紀がポール・アルテ『第四の扉』、そして私がランドル・ギャレット『魔術師を探せ!〔新訳版〕』。推薦文の内容などは、早川書房のnoteにも掲載されています。

     このフェア、面白いのは担当編集が「次の展開」を考えて組み立てたであろう「手つき」が感じられること。長らく絶版だった『キドリントンから消えた娘』の新カバーによる復刊が目玉なのは間違いありませんが、アルテは『殊能将之読書日記』で「傑作」と紹介された『死まで139歩(仮)』が今年刊行予定といいますし、ギャレットも品切れ中の『魔術師が多すぎる』の復刊に向けた編集者の野望についてチラッとnote記事内で言及されています。古き良き傑作を、新たなパッケージで打ち出し、次に繋いでいく。そんな力にあふれたフェアだと思います。

     そこで今月の一冊目は『魔術師を探せ!〔新訳版〕』を取り上げようと思います。決して帯文を書いたから、というわけではなく、読んでいるうちに色んなものと繋がって、今感じたことを書き留めておきたくなったからです。昨年のクリスマスに続き二度目の特別編です。

     本作はSF作家ランドル・ギャレットによる本格ミステリ・シリーズから、中編三編を収めた作品集です。他に長編『魔術師が多すぎる』(早川書房、品切れ中)が出ており、各雑誌、アンソロジー等でシリーズの短編が訳されています。

     科学の代わりに魔術が発達したパラレルワールドの英国で、魔術が絡んだ犯罪を、魔術による捜査で解き明かす。痛快な本格ミステリです。探偵役のダーシー卿と、法廷魔術師のマスター・ショーンのコンビもお互いに信頼感があって良いですし、何より、推理と魔術捜査を役割分担したのがうまいところ。ダーシー卿の推理に必要な魔術知識は全てショーンの口から説明されるため、バランスの取れたフェアプレイを実現しているのです。

     長編『魔術師が多すぎる』で起こるのは直球の密室――不可能殺人ですが、『魔術師を探せ!』では「不可解」な犯罪が多いのが特徴的です。身元不明の死体と、消えた侯爵の謎はどう関連するのか。なぜ死体は藍色に染め上げられていたのか。これらの不可解な謎が、現実的な論理で解きほぐされていく過程には、確かな本格の快感があります。

     もちろん特殊設定ミステリの語で捉えてもいいですし、設定が社会に浸透して一つの世界をきちんと形作っている意味でSFミステリでもありますが、「ダーシー卿シリーズ」にはそれらの語だけでは済まないような奥行きが感じられます。

     なぜそのような奥行きが感じられるのか、その理由を自分なりに探るために、補助線を一本引こうと思います。都筑道夫の「モダーン・ディテクティヴ・ストーリイ」という概念です。この語は都筑道夫が理想とした謎解き小説の理念を多岐に含むものですが、おおざっぱに言って、ここでは「不合理な謎を論理によって解き明かすことを、何より優先しなければならない」という理念の核を捉えておきます。トリック不要論も、シリーズ名探偵を求める後段の議論も、全てはこの核に立脚していると思うからです。

     ここで都筑道夫の話が出るのは唐突に思えるかもしれませんが、キッカケがあってのことです。『魔術師が多すぎる』の解説は、早川書房の編集者であった都筑道夫が執筆しているからです。SFとミステリの関係性やSFミステリの難しさなどを分析した名解説ですが、まず重要な箇所を、少し長いですが引いてみましょう。

    「(……)この場合のSFはサイエンス・フィクションではなく、スペキュレイティブ・フィクションであるわけだが、それを本格推理小説としてまとめた点に、新しいSFファンは不満を持つかも知れない。謎とき推理小説にはルールがあって、それをまもることの古風さが、まずスペキュレイティブ・フィクションの自由奔放さと相反するものだからだ。しかし、いっぽう推理小説ファンにとっては、その不自由さに魅力がある。かぎられた枠のなかに、思いがけない変化を見いだすことが、本格推理小説ファンの楽しみなのだ」

     この箇所に登場する「スペキュレイティブ・フィクション」という語は、1960年代から70年代前半、SF界で巻き起こった「ニューウェーヴSF運動」において使われ、従来のSFに哲学的、思弁的な要素を持ち込もうとしたものです。特にハーラン・エリスンがこの理念に意欲的だったことは、これまた早川書房で最近完訳されたアンソロジー『危険なヴィジョン〔完全版〕』(全3巻)の序文からビシバシ窺われて、この話もまた面白いのですが、今日は本筋ではないので脇に置いておきます。

     都筑道夫『黄色い部屋はいかに改装されたか?』(フリースタイル、以下『黄色い部屋~』と表記する)の解説において、法月綸太郎は「都筑のモダーン・ディテクティヴ・ストーリイ論には、六〇~七〇年代前半のニューウェーヴSF運動の担い手たちが掲げたスペキュレイティブ・フィクションという理念に通じるセンスが感じられます」と述べています(この引用箇所はこの後理念を推し進めた時の危うさにも言及していますが)。その相似性を分析するのはここでは差し控えておきますが、ここでは二つの概念の同時代性を確認し、その概念が提唱された時代の中にランドル・ギャレットの「SF本格」もあったことを意識しました。『魔術師が多すぎる』の原書が1966年刊行、ポケミス刊行が71年7月、『黄色い部屋~』は70年10月から71年10月にかけて連載されていました。数々の締め切りに追われる中、都筑はギャレットの作品に触れ、解説を著したことになります。

     翻って、都筑道夫の実作を探ってみます。都筑道夫の短編には、「犯人以外の意図・価値観が介在して、事件が不可解・不可能な様相を呈してしまう」という趣向が数多く見られます。ネタバレになってしまうので具体的な名前が挙げられないのが残念ですが、「犯人以外の意図」とは、「被害者自身」や「犯罪以外の価値観を持った関係者」のことです。

     都筑道夫は先述した『黄色い部屋~』の中で、ジャック・リッチーの短編“By Child Undone”とエドワード・D・ホックの「長方形の部屋」を比較し、前者の犯罪者の計画の「危険」さを指摘、「トリック中心の本格推理小説の、これは落ちこみやすい落し穴です」と言っています。後者は「この解決は、すばらしいと思います」「犯人のトリックはなく、状況から生みだされた謎があるだけですが、その謎が読者の興味をそそるに足るもの」であると述べています。都筑道夫の実作はまさにこの「状況から生み出された謎」という感覚に立脚していると思います。その「状況」というのが、先に言った「犯人以外の意図」ではないかと。犯人が不自然なトリックを仕掛け、謎が生まれたとするのでなく、犯人自身も様々な意図やアクシデントに翻弄されるなかで、不可解な犯罪が生じてしまった、と構成する。エラリー・クイーンの実作を都筑が気に入っていたのも、畢竟こういう点だと思います。

     そして、「ダーシー卿シリーズ」では、SF設定である「魔術」というものが、この「犯人以外の意図」になっていると思うのです。犯人の計画を超えて、「魔術」のルールに従うことで(従わざるを得ないことで)、犯人の意図していなかった不可解な謎が生まれてしまう。つまり、犯人もまた、魔術の論理に縛られる。とすれば、これは「魔術により形作られたモダーン・ディテクティヴ・ストーリイ」とも言えるのではないかと。だからこそ今でも新鮮に読むことが出来、論理も古びない。

     とはいえ、そんな理論をギャレットが考えていたとは思いませんし、都筑道夫がギャレットを読んで考えたなんてことも思っておりません。この感覚とは究極的に言ってしまえば一つの事実に基づいていると思います。世界が先に立っている、という感覚です。

     ミステリであろうとすること、犯罪を描くこと以前に、そこに魔術により形作られた世界があり、ルールがあり、論理がある。その世界が先に立っており、犯人もまた、その世界の住人である。だからこそ、犯人もまた、そのルールに縛られ、もがき、意図せぬ謎を作ってしまうこともある。先に引用した解説の個所の中で、都筑は「謎解き推理小説にはルールがあって」「その不自由さに魅力がある」と述べています。まさに、この「不自由さ」こそが、犯人をも縛り付けるのです。まず先に世界があり、思索があり、ルールがある。堅牢に作られた世界そのものが、犯人をも縛る枷になっているのです。世界の一部である魔術は犯人だけでなく、探偵たちにも味方し、例えば「その眼は見た」(『魔術師を探せ!』収録)では、「そんなことまで分かるの?」と言いたくなるような魔術捜査の凄さと、そこから生まれるツイストが見事なオチになっています。このオチは、もちろん犯人の意図したトリックなどではありません。これもルールが公正であるがゆえです。

     例えば、ある犯罪を実行するためにルールが作られることがあれば、それは作者と犯人が共犯関係を取り結ぶことになります。その瞬間、作り上げた世界のほころび、ほつれが見えてしまう。世界が先に立っていれば、ほころびは生じない。

     世界が先にあるとは、SFとして読めばごく当たり前のことで、なんらすごい結論ではなく恥ずかしいのですが、大きな回り道を経て、それが実感として確かめられた気がしたので、ここに残しておきます。

     そして、この「世界が先にある」「犯人もまた世界のルールに縛られる」という感覚は、SFミステリのシリーズ化を可能とする意味でも、かなり有効ではなかったかと思います。SF設定を連ねていったとき、どうしても「前作品に出てきた魔法でこれは解決できるのではないか」「なぜ前作の魔法が使われていないと言い切れるのか」というツッコミを避けるのは難しくなります。SFは世界を広げるものであるため、どこかで確定させる手はずが必要になります。ところが、『魔術師』シリーズはそこも軽やかに超えてみせる。世界観全体が先に完成していれば、どの魔法が今回関わるかは、ショーンによる魔術捜査であらかじめ確定させてしまえばいい。この世界にある魔法全てをその都度説明しなくてもフェアプレイを実現でき、読者と探偵の立場を対等にしているのは、こういう細かな点です。面白いのは、スペキュレイティブ・フィクションという「自由奔放な」ものを介在した結果として、トリックではなく不合理な謎を押し出し、シリーズ名探偵を使う、まさに都筑道夫の「モダーン・ディテクティヴ・ストーリイ」に合致する作品が出来上がっていることです。

     これは補足ですが、日本にも、似たやり方で「SFミステリのシリーズ化問題」をうまく解消している作品群があります。西澤保彦の〈チョーモンイン〉シリーズです。『念力密室!』に顕著ですが、「観測装置」によってどんな種類の超能力が使われたいつ、どこで使われたかまで特定し、ホワイダニットに問題を絞るというやり口は、まさしく都筑理論をSFミステリで達成した好例といってよく、ランドル・ギャレットの世界の延長線上にあるものだと思います(脱線ですが、創元推理文庫版『退職刑事6』に収録された西澤保彦の解説は、『退職刑事』の変遷から先駆的評論家/実作家としての都筑の像を、西澤作品の登場人物のような妄想めく推理で明かしていく名解説でオススメ)。

     ランドル・ギャレット、西澤保彦の実作、そして都筑道夫の評論を読み返す中で、自分の作品を顧み、反省するような時間を過ごせました。

     そんな思いを込めての帯文50文字は、ぜひ店頭や早川書房のnoteでご覧ください。そして『魔術師を探せ!』、ぜひご一読を。

     それにしても、「ダーシー卿シリーズ」は粒揃いで実に素晴らしいのです。長編の『魔術師は多すぎる』はわが理想にして最愛のSFミステリなのでぜひ復刊してほしいですし、未収録短編だと急速に年老いた死体の謎が極めてロジカルに解かれる「十六個の鍵」、『オリエント急行の殺人』パロディーまでぶち込んだ「ナポリ急行」、ダーシー卿とショーンの出会いを描きながら、ポーランド軍の所在が分からないというユニークな謎を展開する未訳短編“The Spell of War”等まだまだ好きな作品があります。「ダーシー卿」フリーク、増えないかしら。

    (2021年2月)



第7回
進化し続ける「探偵自身の事件」

  • ジョー・ネスボ、書影


    ジョー・ネスボ
    『ファントム 亡霊の罠(上・下)』
    集英社文庫

  •  来週、1月30日から第1回「みんなのつぶやき文学賞」の投票が始まるようです。昨年まで「Twitter文学賞」という名前でしたが、今年から名前を変えて立ち上げるとのこと。Twitterで読者投票出来るので、気になる方は投票してみては。年末のランキング企画とは一風変わった、SNS時代の文学賞に注目していきたいところです。

     さて、今月の二作目はノルウェーの作家ジョー・ネスボの『ファントム 亡霊の罠』(上下巻)。ハリー・ホーレという警官が主人公のシリーズの九作目。〈ハリー・ホーレ・サーガ〉とでもいうべき大部です。ちなみに前作のネタバレはないので、ここからでもいけます。

     このサーガ、とにかく驚かされるのは、高い謎解きのセンスとハリー自身の物語の厚みが同居していること。警察小説ではありますが、シリーズの中ではハリーが一匹狼として事件を追う作品のほうが深く心に突き刺さります。

     作者はあまりにも徹底してハリーを追い込みます。第三作『コマドリの賭け』から始まる「ハリーの相棒三部作」では、アルコール漬けになってボロボロになりながら連続殺人鬼を追うハリーの姿が胸に迫りますし(第五作『悪魔の星』)、第六作『贖い主 顔なき暗殺者』以降、集団としての警察組織と、個人としてのハリーの相克は苛烈なほど描かれていきます。ネスボは「探偵耐久実験」でもやっているのかと言いたくなるほど、壮絶な起伏です。

     そして、『ファントム』は中でも飛び切り凄い。何せ本作では、ハリーはもはや「警官」の立場すら追われているのですから。彼はある容疑者の無実を証明するべく、組織にも属さず、一人事件を追うことになります。

     その容疑者というのが、自分の「息子」――息子同然に接してきた青年、なのです。

     あまりのことに「待ってよ! どうしてそんなに酷い目に遭わせるの!?」とネスボに向けて叫んでしまいました。証拠は完全にオレグが犯人だと示している。絶体絶命の状況です。ハリーはそれでも、オレグにかかった容疑を覆すため、奮闘する。

     下巻の第四章以降、めまぐるしく容疑者が入れ替わり、フーダニットの面白さはかなりのハイレベル。おまけに謎解きの端緒となる伏線の置き方までユニークとあっては。

     ジョー・ネスボ、やはり凄い作家です。同じ集英社文庫から出ているノンシリーズの 『ザ・サン 罪の息子』は良いサスペンスだったし、早川書房から出た別シリーズ『その雪と血を』『真夜中の太陽』は好対照をなす二作で、共にノワールの名品だし。『ファントム』の続編、第十作の“Police”、英訳版で読んでみようかな……。

    (2021年1月)



第6回
形式の冒険 ~『驚き』の復刊~

  • 清水義範、書影


    清水義範
    『国語入試問題必勝法 新装版』
    講談社文庫

  •  2020年12月号の「小説現代」に面白い企画が載っていました。謎の作家「X」による長編小説「XXX」一挙掲載。1959年のアメリカを舞台にしたハードボイルドで、黒人コミュニティとの交流の書き方も好みだし、フーダニット興味もしっかりと。満足して、何よりまず思ったのは、「なんのバイアスもなしに読む」経験の貴重さでした(この作家のものだから面白いに違いない! というプラスの先入観も、一種のバイアスですし)。読む時の自分も試されているような。同誌の2021年1月号では、名前を明かしたその作家のインタビューが掲載されていて、タイトル募集もしていました。気になる方はチェックしてみては。

     発表の仕方、作品の「形式」で遊ぶような企画はこれからも見たいものです。そこで今月は、そんな「形式の遊び」を体現するような復刊書籍を一つ。清水義範『国語入試問題必勝法 新装版』です。

     清水義範はパロディ、パスティーシュを大得意として、私はユーモラスな推理小説シリーズもお気に入り。中でも、表題作の「国語入試問題必勝法」は、抱腹絶倒の名短編なのです。

     誰しも、国語入試に悩まされたことはあるでしょう。現代文の難解さとか、小説の読み方に正解はないはずなのに唯一の解を求められる理不尽さとか。

     そんな国語入試が大嫌いな主人公・浅香一郎が、月坂という家庭教師に「必勝法」を教わる、というのが短編のスジ。なんともうさんくさい感じですが、「この種の問題は、原文とは無縁の点取りゲームにすぎないんだよ」と喝破する月坂は、まるで塾のカリスマ講師のよう。次々披露される眉唾物の、いやしかし、どこか真理を突いていそうなテクニックの数々がなんとも可笑しい。

     素人によるリレー小説を偽作する「人間の風景」や、丸谷才一のパロディ「猿蟹合戦とは何か」など抱腹絶倒の全七編。私はこの本の他には『主な登場人物』などが好きです。本編を読まず、登場人物表だけで本編を妄想する話です。

     さて、ここまでで目安の800字なので、以下は完全に余談です。『国語入試問題必勝法』の復刊タイミングに驚いたのは、まさに1月29日発売の「ジャーロvol.74」に載る私の短編で、「国語入試問題必勝法」をエピグラフとして使用しているからです。2021年、コロナと新制度入試で変わる受験界を舞台にした推理小説で、タイトルは「2021年度入試という題の推理小説」(タイトル元は都筑道夫『怪奇小説という題名の怪奇小説』です)。

     こういうものに挑みたいと思ったのは、やはり高校生の頃、「国語入試問題必勝法」に触れた経験があったからだと思うのです(他に、『ウンベルト・エーコの文体練習』や法月綸太郎『挑戦者たち』に触発された面もありますが)。だからこそ、狙い澄ましたような復刊タイミングに驚きました。講談社のほうでも、新制度入試にかぶせる意味があったのかもしれません。

     とまれ、今回の作品も古い形式を使った新しい推理小説を目指しました。全体のトーンは「六人の熱狂する日本人」(『透明人間は密室に潜む』収録)に近いでしょうか。昔、塾講師のアルバイトをさせてもらったりしていたので、愛のある業界に対して時折やってしまう、すちゃらか・フルスロットル本格です。

     ここで書きすぎると、いずれ書きたい「あとがき」で書くことがなくなるので、今日はこの辺で!

    (2021年1月)



第5回   ⛄特別編

🎄クリスマスにはミステリを!🎄

  • マイ・シューヴァル、ペール・ヴァールー、書影


    マイ・シューヴァル
    ペール・ヴァールー
    『刑事マルティン・ベック
    笑う警官』
    角川文庫

  •  ※作中、訳の明記がない引用は全て新訳(訳者・柳沢由実子)に準拠。

     今になってマルティン・ベックシリーズにハマっています。全作良いので「完全攻略」はいずれどこかでやりたいのですが、今日はクリスマス。それなら『笑う警官』の28章の話をしましょう。ミステリ部分のネタバレはしませんのでご安心を。『笑う警官』の28章、このたった一章の精読を通じて、ストックホルムのクリスマスの風景を感じ取ることが出来ますし、この小説の眼差しのありようにも迫れるのではないかと思っています。というわけで、今回は特別編です。

    『笑う警官』で起こるのは市バス内で八人が銃殺される大量殺人。被害者の一人の若い刑事・ステンストルムの行動を追い、彼の私生活に分け入っていくところにミソがあります。刑事の私生活を書くことは、主役刑事たちに対して作者がずっとやってきたことでもあります。

     28章はそんな主役刑事二名、マルティン・ベックとレンナルト・コルベリが迎えるクリスマス・イブの日。シリーズは全作「30章」で構成されていますが、28章には20ページ以上の紙幅が割かれており、29・30章が事件解決に向けたものであることと比較すると、私生活を描いたこのシーンの厚みが際立って来ます。29章以降は新年にかけて描いているので、今の時期にぴったり。

     28章は最も重要な章と考えられます。タイトルにもなっている「笑う警官」のレコードがかかるシーンであり、事件解決に至る大きな手掛かりを得るシーンでもあるからです。後者についてはミステリ部分に関わるので省略し、「笑う警官」の話をしましょう。聞いたことのない人は「The Laughing Policeman」とYouTubeで検索すれば原曲に当たれるので聞いてみてください。

     なんとも陽気な曲です。高見浩訳では「高らかな笑い声」、あるいは『警官殺し』で再登場する際「哄笑」という語が使われますが、笑い声が印象的で耳に残ります。「聞いていると笑いがうつるらしく、インガもロルフもイングリットも笑いこけている」とあるように、一家団欒の小道具として効果的に用いられています。

     1922年にイギリスで発表されたコミックソングで、本国では子ども番組などでかかっていたらしいです。1898年のジョージ・W・ワシントンによる"The Laughing Song"が音楽やメロディ、笑い声の元といいますから、作中でコルベリが「第一次世界大戦前からのものだ」と言っているのはこれを受けてのことでしょう。作中でマルティンは娘のイングリットから、この「笑う警官」を収録した「笑う警官の冒険」というタイトルの「四十五回転のEPレコード」を贈られます。彼女にとってこれが会心のプレゼントだったのは、24章で笑顔の少ない父に「クリスマスイブにはきっと笑うわよ、パパは」/「ええ。あたしのプレゼントをもらったら笑うにきまってる」と予告しているのを見ても明らかでしょう。警官の父親にこのレコードを贈るのが、彼女なりのしゃれだったわけです。

     ところが、そんな会心のプレゼントを貰い、曲を聴いてなお、マルティン・ベックは笑うことが出来ない。

    “「パパ、ぜんぜん笑わなかったわね」不機嫌そうだ。
    「いや、とてもおかしいと思ったよ」と言ったが、説得力はなかった。”

     続けてかかる「陽気な警官たちのパレード」もそうですが、歌詞の中では「警官」を戯画化して描いています。家族にとっては現実を忘れ、団欒を愉しむのが目的です。ところが、マルティンは「レコードのジャケットを見つめた」「ステンストルムのことを考えた」とあるように、彼の意識はすっかり目の前の家族から離れてしまい、現実を見つめている。そこに決定的なずれがあります。

     一方のコルベリも家族の団らん中に電話を受け、受刑者と話をするべく刑務所に向かうことに。かくて、彼は事件の手掛かりを手に入れますが、妻には「食事が。すっかりだめになってしまったじゃない」と涙ながらに出迎えられる。気の利いたフォローを入れているのがコルベリのいいところですが、注目すべきはコルベリの帰宅後のシーンにも、マルティンからの電話越しに「笑う警官」の笑い声が響いていることです。かくして、クリスマス・イブにも仕事を忘れられず、現実に生き、家庭の中で不和を抱えた二人の警官を、戯画化された太った警官の笑い声が包み込んでいる。その笑い声のエコーが結末にも響いていることは言うまでもありません。

     また、28章では以下の表現も印象的です。

    “街は静まり返っていた。唯一、動いていたのはよろよろ歩きのサンタクロース。それも任務を果たすには遅すぎ、酔っぱらい過ぎたサンタ。彼らはたくさんのスナップスを、たくさんの振る舞いが大好きな家でごちそうになってすっかりご機嫌だった。”

     どこか温かいまなざしで、「しょうがないなあ」と見つめるコルベリの視線を感じる表現です。19章で「お祭り騒ぎの前触れの年中行事、すなわちぐでんぐでんに酔っぱらったサンタクロースたちが建物の入り口や公衆便所から担ぎ込まれる」と書かれているのと比較すると一目瞭然。そんな端々の描写もあって、『笑う警官』の28章は、家庭内の不和という要素はあるにもかかわらず、ストックホルムのクリスマス・イブの幸福な光を切り取ったシーンのように私には感じられるのです。

     最後になりますが、旧訳の高見浩氏訳と新訳の柳沢由実子氏訳を28章のみ読み比べて気付いたことを書き留めておきます。

     まず、このシリーズにはスウェーデン独特の固有名詞が多いとは聞いていましたが、まさにその通りで、たとえば高見「両親の墓」→柳沢「スコーグ教会墓地」、「しょうが入りケーキ・ビスケット」→「伝統のねじり棒の揚げ菓子クレネッテール」など、ストックホルムの異国情緒に染まる意味では新訳が好ましい。とはいえ、軽妙洒脱な高見訳もやっぱり面白いですね。

     そして、28章には新旧で大きな違いがあります。「笑う警官」の歌詞が旧訳には書いていないのです。旧訳は英訳版からの重訳で、新訳はスウェーデン語から原語訳したことが一つのウリになっていましたが、この異同は恐らく偶然ではありません。理由の一つは先に言及した「陽気な警官たちのパレ―ド」の歌詞は旧訳にもあること、もう一つは、「笑う警官」の歌詞を受ける形で、新訳では結末に二行追加されているからです。この異同は、「笑う警官」という曲の出自にも理由があるのかもしれません。1922年にイギリスで発表された「笑う警官」は、1955年にスウェーデンで新しいバージョンが作られます。1898年を始点にすれば、約30年周期で新しい命が吹き込まれていることになります。スウェーデンではまだ「若い」曲だから聞いたことのない世代がいて、一方マルティン・ベックぐらいの年なら原曲に触れたことがある、とすれば共通理解のため歌詞の表記は必要です。反対に、もしかしたら、英語圏では歌詞をあえて書かなくてもいいくらい有名な曲だから歌詞が省かれたのかもしれません(その辺りは一か月では調べきれず……)。仮説以上のものではありませんが、この二行の違いは、新旧訳の違いの中でもかなり大きなものだと言えるでしょう。

     ただでさえ印象的な結末が、この二行の、ある男の反応によって感動的なユーモアに変貌するのです。28章から通奏低音として流れる「笑う警官」の高らかな笑い声と共に、『笑う警官』はクリスマス・イブの幸福な光を閉じ込め、今もなお、警察小説の金字塔として燦然と輝き、そこに在る。

    (2020年12月)



第4回
年の暮れにSFミステリの理想を夢見ること

  • ケイト・マスカレナス、書影


    ケイト・マスカレナス
    『時間旅行者の
    キャンディボックス』
    創元SF文庫

  •  この度、拙著『透明人間は密室に潜む』が「本格ミステリ・ベストテン」で第一位の名誉に与りました。ありがとうございます。他の順位も続々出ていますが、過去最高順位ばかりです。皆様の応援のおかげです。デビューから四年目、一歩一歩踏みしめるように進んできて本当に良かったと思います。これからも倦まず弛まず精進し、この読書日記も「死ぬまで」続けていきます(言いましたね?)。

     さて、気持ちも新たに12月の1冊目はケイト・マスカレナス『時間旅行者のキャンディボックス』。毎年あるんですよ。ランキング投票後に、超好みの本を読み後悔すること。2年前のハーディング『嘘の木』、去年の呉勝浩『スワン』等。

     で、本書。タイムトラベルが実用化され、タイムトラベラーが巨大組織により管理されている社会を描いたSFなのですが、主題の一つに射殺体、密室殺人という謎が据えられていて、意外な犯人・トリック・動機までしっかり炸裂する本格ミステリであるという。

     私はSFミステリというのは、設定やアイデアだけではなく、それがあった時に人間や社会がどう反応し、適応していくかというところまで触れて欲しいという理想があるのですが、本書はその思いに応えてくれる作品。

     例えば、タイムトラベラーは未来の自分の死期や恋人の死を見てしまうので、死生観に大きな揺らぎが生じ得る。そこで、就任試験にあたっては、心理テストを行って、精神的に健全な人間を登用しようとする。巻末にはそのテストがそのままついたりしているわけです。

     他にも、邦題にもあるキャンディボックスは、タイムトラベル機構を用いて、中に入れたキャンディが60秒後に出てくるようにした子供のおもちゃ。奇抜すぎず、しかし質感のある小道具なのが面白くて、しかも違法改造の記録に挑むチーターたちがいるなんて描写まであってニヤリとします。ここには、「時間旅行」という一つの特異点によって区別された、しかし、私たちと似姿の社会がくっきり描かれている。

     SFとして楽しく、謎解きミステリとして見事、時間・性を超えた愛憎のストーリーも面白いという。やられました。目が離せない作家がまた一人。

    (2020年12月)



第3回
〈ショーン・ダフィ〉、完全開眼!
北アイルランドの鬼才に乗り遅れるな

  • エイドリアン・マッキンティ、書影


    エイドリアン・マッキンティ
    『ガン・ストリート・ガール』
    ハヤカワ・ミステリ文庫

  •  今年からミステリ・ランキング投票のうち「このミステリーがすごい!」のレギュレーションが変わり、奥付9月までの本が対象に。一か月前倒しになった形。例年、「このミス」に投票すると年末ムードに入りますが、今年はロスタイムの気分です。

     今月の新刊はエイドリアン・マッキンティの『ガン・ストリート・ガール』。1980年代、紛争が続発する北アイルランドを舞台に、刑事ショーン・ダフィの活躍を描くシリーズの4作目です。このシリーズ、警察小説とハードボイルドの魅力ムンムンで、注目していました。

     1作目『コールド・コールド・グラウンド』ではバラバラ死体、3作目『アイル・ビー・ゴーン』では密室と、作者はガジェット型の謎を用意してきましたが、むしろシリーズの魅力は「ダフィがこの情勢下でいかに動き、選択し、過去や現在に立ち向かうか」を描き切るところでした。だからこそ、『アイル・ビー・ゴーン』ラスト100ページの熱に浮かされたような文章と展開に胸打たれたのです。

     そして4作目の本作では、そうした魅力はそのままに、捜査小説としての面白さがグンと高まっている。両親が殺され、子供は失踪。これまでよりシンプルに見えるこの事件が、捜査を進めるうちに次々様相を変え、加速していく。この読み味を加えた上で、ダフィの物語としても熱を放っているとあっては。巻を措くあたわずとはまさにこのこと。助手役の刑事のキャラや「因縁」のあの女を巡る展開がまた良いのです。

     次作『レイン・ドッグス』は、1作目の訳者あとがきで早くも触れられていて、とても期待していたタイトル。帯裏によれば来年刊行予定とのことで、また来年の愉しみが一つ増えました。

     ちなみに、私がこのシリーズを最初に手に取ったきっかけは、中学の頃読んだ石持浅海の『アイルランドの薔薇』でアイルランド情勢にある程度興味を持っていたおかげ。そう思うと、読書はちゃんと繋がっていく、と感じます。

    (2020年11月)



第2回
新しいのに懐かしい、名手のニューヒーロー!

  • ネヴァー・ゲーム、書影


    ジェフリー・ディーヴァー
    『ネヴァー・ゲーム』
    文藝春秋

  •  10月分の2冊目はジェフリー・ディーヴァー『ネヴァー・ゲーム』。もはや秋の風物詩となった名手ですが、今回はなんと新シリーズ。しかもこれが良い。リンカーン・ライムが「動かない『静』の名探偵」だとするなら、新主人公コルター・ショウは「飛び回る『動』の名探偵」なのです。失踪人を探し出した時に出る懸賞金で稼いで、家はキャンピングカーというのがまたいい。ディーヴァ―のキャラ造形ってやっぱり半歩くらい先を行ってる気がする。

     ライムシリーズは三人称多視点を採用し、立体的に立ち上げた事件の構図の中に死角を用意してくれますが、今回は徹底して三人称一視点。ショウ自身も事件の全体像や、どの事件が繋がるのかまるで見通せないまま、暗中模索しながら走り抜けるグルーヴ感が味わえます。失踪人探しから始まり、事件の「形」がどんどん変わるのがミステリ的な読みどころ。

     彼の父親が「~べからず」の形で教えた「狩りの心得」がまた好きなんですよ。私は師弟関係が好きで、ドン・ウィンズロウ『ストリート・キッズ』、レナード・ワイズ『ギャンブラー』等がフェイバリットなのも、煎じ詰めればそれが理由。忘れがたい印象を残すいいキャラです。

     いやあ、シリーズの続きが楽しみ。しかも、訳者あとがきには「第三短編集」の文字も! ディーヴァーの短編集、二冊とも偏愛しているので、首を長くして待ちたいと思います。

     と、10月分の2作は、どちらも池田真紀子さんの翻訳ミステリになってしまった。たまたまそうなっただけですが、「この人の翻訳ならなんでも読む!」のモードに入ることってありますよね。他に偏愛翻訳者を挙げると……エッ、文字数がもう足りない?

    (2020年10月)



第1回
ミステリー界の"ノックス"はもう一人いる!

  • 笑う死体、書影


    ジョセフ・ノックス
    『笑う死体』新潮文庫

  •  例年、9月、10月は各種ミステリ・ランキングに向けた読書で大慌て。刊行点数も凄まじいので、凄い勢いで原稿を書いて読書もしないと終わりません。でもどんなに辛くてもやるのは、まあどれだけ暑かろうが夏コミに、寒かろうが冬コミに行くのと同じで、学生時代からこの業界にいる人特有のサガ、骨がらみの習慣です。

     そんな中から2冊。1冊目はジョセフ・ノックスの『堕落刑事』『笑う死体』(新潮文庫)。後者が今年の新刊。

     マンチェスター市警エイダン・ウェイツを主人公にしたミステリで、解説によれば原書では三作目が刊行されており、三部作となる見込みが高いとのこと。

     とにかく本シリーズの美点は、ノワールの魅力と本格ミステリの快感とが高いレベルで融合していること。

    『堕落刑事』では麻薬抗争によって、三分の一を過ぎたあたりからバタバタ人が死に、エイダンもボロボロに。結末近くなり、「俺はとにかく説明が欲しい」と言って、真相究明に動く彼のカッコよさときたら! 死体の山の中から、たった一人の死の真実を解き明かすのです。

    『笑う死体』では、身元不明でしかも歯を剥き出しにして笑っている死体の謎や、連続放火の謎が絡み合う、モジュラー型のミステリに。エイダンは夜勤の警官として街を駆けます。間違った街で、間違った人たちの中で、自分もそこに身を染めながら、でも「正しく」あろうとする……だからこそ、彼の行動の一つ一つにハラハラさせられ、胸打たれるのだと思います。三作目、切に待ってます!

    (2020年10月)